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koyanの明石

Mac、TV、映画、カメラ、イタチ、猫等についてボチボチ語ります。書いているのはおっさんです。

「天地明察」の原作本と映画の感想

 

 原作本です。調べてみると2010年の本屋大賞を取っています。わたしが本を選ぶ時の基準はこの本屋大賞。な~んですが、実はこの作品、先に映画を録画していたのですね。

 主演は岡田准一。あれ?、なんか記憶に微かに残っているような。ともあれこういった場合、原作本から読んであとで映画をどう作ったか楽しむのがわたしのやり方。というわけで、調べてみて原作本を発注したわけです。

 読み始めて神社の絵馬の設問シーン。おやおや、このシーン記憶あるんですが!。だから先の通り映画を先に観ているんじゃなかろうかと。でもね、記憶に浮かぶ登場人物のキャラクターは二次元なんです。

 もしやアニメ作品でもあったのかと、さっきまで思っていたのですよ。で、調べてはじめて真実に到達しました。コレです。

 漫画だったんですね。わたしアフタヌーンの読者でして、一時読み損ねていた時期もありますが、アフタヌーンで出会っている可能性は高い。しかも、どうやらアニメ化はされていない模様。決定です。漫画で先に読んでいたんですね。

 閑話休題。さて原作本です。第一印象は、すごいね~この作者さん半端なく資料集めて勉強しまくってる!、ってことに感動。そうですね、前に読んだ、

 

koyan.hatenablog.com

この作品でも、作者の勉強ぶりに驚かされましたが、その記憶が蘇ってきました。こういう作品を読むと、作家にあこがれているわたしですが、ますます作家という職業が遠く感じられて、ある意味悲しくなれます。なんてね。

 どうも脱線しがち。映画の方の印象も書いておきましょう。当たり前ですが、原作本の方が圧倒的にボリュームがある。そこをどう切り取って、切り取るがゆえに改編も必要となって、どうまとめていくかが映画化の課題。その辺を交えて感想を書いてみます。

 主人公は渋川春海(しぶかわはるうみ)。まずこの名前が映画では最後にしか出てこない。がしかし、原作本では本来の父親から受け継いだ名である安川算哲(やすかわさんてつ)を使わず、最初から春海を名乗っています。訳アリですが、そこを解説する時間がなかったのでしょう。

 渋谷、宮益坂にある金王八幡。そこには図形の難問が絵馬に書かれ奉納されています。算術好きの春海はここを訪れ感動。これを縁に関孝和という、算術の天才との出会いがあります。そしてもう一人大事な女性、えん、ともここで出会う。

 楽しみにしてたんですよ、誰がえんを演じているか。その答えは宮崎あおいでした。うん、いい感じ。イメージに近いかも。でもね、えんという女性はもっとキツイ性格ですよ。映画ではそのキツさというかツンデレ具合がちと足りない。

 関孝和とはいろいろあるんですが、春海としてはなんというか、恐れ多くて会いたくても合わす顔がないみたいな弱腰。それだけ関がすごいってこと。なんだかんだあって、最後の最後、どうしようもなくなったときに、会う機会をようやく作った感じ。それなのに映画では、けっこうすんなりと会っている印象。しょうがないですね、時間軸が短いのと、これだけのグダグダした春海の心の紆余曲折を描いていては、それだけで映画が終わってしまいます。

 春海の仕事は碁打ち。将軍様の前で打つことを許された、先祖代々の家系。でもね、星が好きだったり、算術が好きだったりで、肝心の囲碁には飽きてしまっている。その当時の囲碁は、今までの定石どおりに打つ碁を披露するのが一般的で、今のような勝負碁を観覧させるという習慣がなかったそうな。そりゃ、つまらんたい。

 会津肥後守、保科正之という人物がいて、どうやら春海のことが気に入っている模様。その伝手で老中の酒井より、北極星の高さを日本全国で観測するという北極出地という仕事を命ぜられる。高さの違いとは緯度の違いだそうだ。

 この仕事、約1年?ほどかかるということで、春海はえんと帰ってきたら云々の約束をする。が、なんと仕事は延びに延びて、2年後帰ってきたときにはえんは嫁に行っていたと。お侍の世界ですから、しょうもないってことなんですが、春海のがっかりぶりに泣かされました。じれったいんだよ、春海って。

 書くのに疲れてきました。もうすぐです、がんばれ。そうそう、あの保科正之って人物。徳川家にとっても、江戸時代の民にとっても、とても重要な人だったらしく、この作品内でその素晴らしさが非常に細やかに描かれております。コレは事実(史実?)を知らなかったわたしにとっては、とても驚きの、そんな人が居たんや~クラスの事件に等しいことでした。詳細は、原作本を読んでねw。

 でですよ、ハナシを飛ばしますが、改暦の仕事を結局は受けるわけです、春海。北極出地とかはその前振りで、彼の能力を確認するためでもありました。再び江戸を離れる春海ですが、なんと彼、実家のある京都で結婚します。こと、という名の若い女性。なんと映画ではこのことがすっぱり切られているんですよ。

 彼女、病弱という設定でなんか悪い予感がしていたのですが、早くに亡くなってしまいました。「ことは幸せ者でございます」が彼女の口癖。もうね、号泣ですよ。今作で一番の号泣。それが映画では.....。これがこのメモで一番書きたかったこと。ことちゃん、かわいそ過ぎる。

 再び江戸を訪れた春海。なんとえんが離縁したと。原作本では旦那が亡くなったはず。妻を亡くした春海と、夫を亡くしたえん、そういう二人がって展開だったのに、ことの存在自体が消されたせいでしょうか?、えんは嫁ぎ先を追い出されたとか。ふむ、ツンデレ具合の足りなさを指摘したわたしですが、追い出されるくらいには気が強かったみたい、映画。

 やっと本題に入った改暦の儀ですが、すったもんだあって、今作最大のオチが登場します。それは授時暦の誤謬(ごびゅう)。これを気づかせてくれたのが関孝和なんですよ。だから、春海はやっとの思いで会いに行ったんです、原作本では。

 なんて言うんですかね、時間をかけて、積もり積もって、描いてきたこと。この重さって、やはり同じく時間をかけないと描けない。関孝和に対する春海の気持ちがまさにそれ。この重さが作品にも重さを与える。それを時間という制約で切らざるを得ない映画という表現。う~む、どうしたらいいのでしょう?、なにか解決策はないのでしょうか?。

 映画の最後。えんも春海もお互いに「わたしより長生きをしてください」と願っておりました。そして奇跡のように同じ日に亡くなったとテロップに。映画では年齢は明かされていませんが、原作本ではたしか70歳を超えるくらいの長生きだったそうです。その一言も欲しかった。

 というわけで、後半疲れてきてグダグダになったのをお詫びします。もっと書きたかったのですが、わたしの集中力が追いつかなかった。さて、今後の課題ですが、原作本を読んでから映画って順番のことなんですよ。こうするとどうしても映画が不利になります。そりゃ当然でしょ、あのシーンもこのシーンもカットかよ、と。吹き出る不満の数々を映画は受け止めなければなりません。

 どうでしょう?、先に映画を楽しんでみるのは?。最近その考えに揺れております。今作も、映画としてだけ考えてみれば、それなりに面白かったという感想をもったと思います。その後で、さらに原作本でより広く、より深く楽しめる。うむ、今度はこの順番で行ってみましょう。おススメです、映画も本も。