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koyanの明石

Mac、TV、映画、カメラ、イタチ、猫等についてボチボチ語ります。書いているのはおっさんです。

「シーア派 台頭するイスラーム少数派」(桜井啓子)はいい本です

 

 例の上司から借りたコーラン三部作のメモはコチラ↓

「コーラン 上」(井筒俊彦訳)は不思議な本 - koyanの明石

「コーラン 中」(井筒俊彦訳)は宗教を考えさせる - koyanの明石

「コーラン 下」(井筒俊彦訳)は面白い - koyanの明石

 その後に借りたのが、お堅そうな本↓

「「イスラム原理主義」とは何か」(山内昌之編)は難しいけど勉強になる - koyanの明石

 さらにその後に借りた本が一番わかりやすかったというオチ↓

「イスラムの怒り」(内藤正典)はわかりやすく面白い - koyanの明石

 そして次に借りたのが↓

「タリバン」(田中宇)でアフガンのお勉強 - koyanの明石

 今度はイスラーム国ですよ、その本がコチラ↓

「イスラーム国の衝撃」は読みやすいけど難しい - koyanの明石

 そしてそして、久々に借りたのが今回の↓

 シーア派ですよ、シーア派。少数派と言われてますが、世界的には1億人の信徒がいるらしいです。イメージ的には過激派。これは欧米が我々の頭の中に強制的に埋め込んだイメージ、とは思いつつも、どんな感じなのかすらわからなかったわたしには、これでスンナ派との違いを知ることができると、期待して読みました。

 で、内容は素晴らしいです。何がって、わたしが知りたかったシーア派とスンナ派の違い、じゃなくて、イスラムの国々のそれぞれの情報がいろいろ書かれております。読みやすく、内容も濃いのですが、なにせ国がいろいろ出てきますので、正直わたしの脳みそはオーバーヒート。とてもじゃないけどこなしきれません、残念ながら。

 特に、イランとイラク、タリバンで読んだのかな、アフガニスタンやパキスタン。あとサウジアラビアですね、よくわからなかった。他にもいろいろ出てくるんです。

 と喜んでいるってことは、そう、肝心要のシーア派とスンナ派の違いが、これを読んでもよくわからない。なんだろね~、わたしの読解力不足なんでしょうか?。

 ともあれ、読みながらいろいろとメモを取っていたので、それのご紹介。というか、自分用の忘備録(このサイトはすべてがソレでした)。

※ココからメモを抜粋しますが、順番を含めかなり適当なこと書いてますので、その点ご了承ください。

 まず唯一というかなんというか、シーア派の特徴ってんですか?。1つはアーシュラー。これは三代目のイマームであるフサインの殉教日だそうです。お祭りします。その40日後にはアルバイーンといって、追悼行進を行います。コレが体に傷をつけながらの更新って書いてあるんですが、昔よくテレビでやってたやつですかね?、針とか針金とか皮膚にさして飾ってるみたいなの?。違ったらごめんなさい。

 そしてもう1つが12イマーム派。ムハマッドの血筋を引く12人のイマームのみに、宗教的、政治的権威を認めるということ。この2つがシーア派の特徴なのでしょうか?。

 さて派の違いは置いといて、次のメモはあのイラン革命。1979年。そもそもイランという国は16世紀以降、シーア派を国教とする唯一の国だそうです。マルジャア・アッ=タクリードという宗教の最高権威者の1人であるホメイニーが、イランという国の最高指導者になったと。ホメイニーは「イスラーム法学者の統治」を出しますが、その点で他のマルジャア・アッ=タクリードと対立。他のタクリードはウラマーの政治介入に反対の立場なんですよ。

 本来、マルジャア・アッ=タクリードの考えは、信徒が自由に選択できるものでしたが、国の最高指導者となったホメイニーは、他のタクリードを排斥し、自分の考えを信徒に強制する結果になったと。

 同じ年のイランのアメリカ大使館占拠事件で、イランは世界的に孤立。イランは米ソの超大国に抗い、各国のシーア派へ革命を輸出する方針を立てます。これが各国のスンナ派との対立をさらに強めてしまう、と。

 例えばパキスタン。スンナ派のイスラーム化?により、喜捨(ザカート)の2.5%のお金が政府に入るように。本来喜捨はイマームの代理人に払われるべきであるし、強制されるものでもないと反発。ホメイニーに支援を要求。イランは革命の輸出をするわけです。

 1988年にイラン・イラク戦争が終結。イランの革命の輸出は後退し、スンナ派が優勢となる。前述のパキスタンやアフガニスタンでは、シーア派の排斥が顕著に。

 1989年、ホメイニー死去。「イスラーム法学者の統治」賛同の人を無理やりマルジャア・アッ=タクリードに昇格させる。まさにタクリードに任意に従うという教えが崩れていきます。

 その後、ハーメネイーがイランの最高指導者になり、「イスラーム法学者の統治」が唯一ではなく、多様な解釈の共存が許容されるべきという考えで対立することに。

 そもそも「イスラーム法学者の統治」という政教一致の考えは若い世代に反発が多かったそうで、信教が政治的枠に組み込まれ、政治利用されるようになるのを嫌う傾向にあると。

 1990年、フセインがクェート侵攻。これ?、なんで侵攻したのでしょうか?。以前、違う本で、イラン・イラク戦争でフセインがアメリカからいろいろ支援を受けて、借金がヤバいことになったので、石油を求めてクェートを攻めたって書いてあったけど、それホント?。

 1991年。多国籍軍がイラクを空爆してクェートを開放。湾岸戦争ですね。湾岸戦争以降、サウジアラビアのシーア派も、イランの動向を見て穏健になったとか。がしかし、クェートのシーア派はまだマシな待遇だったが、バハレーンやサウジアラビアのシーア派への宥和政策はまだ限定的だったとか。

 1994年、ターリバーン登場。彼らはスンナ派だったんですね。1996年にアフガニスタンの首都カーブルを制圧。だけどビン・ラディンをかくまったのでアメリカに空爆され、2001年にターリバーン政権崩壊。その後、アメリカが敵視したのはスンナ派の過激派だったそうな。

 2003年、米英軍がイラク攻撃。あれだよね、フセインが大量破壊兵器を隠していたとかで、ブッシュが攻撃させたんだよね、9.11の報復とかもあって。

 湾岸戦争以降、アメリカへのテロを行ってきたのは、スンナ派のワッハーブ派で、このワッハーブ派ってのがアメリカの友好国サウジアラビアの公認宗教なんだとか。矛盾ってヤツ?。

※メモはここで終わり。

 なんかすごく間違ったまま書いたりしてそうで、怖い。あくまでも自分用メモなので、間違っていても怒らないでください。

 というわけで、ほかの本よりもメモの量が半端なく多かったのが、この本を気に入っていたことの証明にもなる気がします。2006年に出版された本なので、情報はここまで。その先が知りたい。なんか、ターリバーン政権が20何年ぶりに復活したみたいなニュース見た気がするし。まだまだまったく勉強が足りていません。読めば読むほどその思いが強くなります。