コラム記事「待つことの意味」を読んで、そうだね〜、そうだよね〜って妙に共感してしまった。誰しも待たされることは嫌いなはず。日常生活で待たされることというと、そうだな〜、赤信号とか、銀行、郵便局、病院絡みとか、おっと外のハナシばかりですね。家の中で待つことというと、料理なんかしてると待つことが多いかな。風呂が湧くまで、トイレが空くまで、待ちに待ったTV番組がはじまるまで、な〜んだ、けっこうあるもんですね。
ともあれ、人を待たせることについてはパソコンの右に出るものはいない?、と感じるのはわたしも同じ。でもこのライターのように比較的長い時間待たされるというより、とても短い時間だけど年中待たされるって印象が強い。そうです、わたしのマシンはMac。Mac OS Xというヤツは、やたらめたらワンテンポ人を待たせるのが好きなのだ。
一例として、2ちゃんねるの専用ブラウザを使ってるけど、これがスレッドを開くときに必ず待たせてくれる。そこでデスクトップに常にCPU稼働率を表示するアプリを導入。これを見てると「お、つっかかったな、あらあらCPU100%稼働中だ、待ってあげるからがんばってね」と大人な気持ちで待てるのよ。しかしそんなアプリを使わずとも、自然に待てるようなインターフェースにしてくれっていうライターの意見に激しく同意します。